■ついったと俺の短気・骸骨爺の死相話・動かないぼーずの動画+追記
俺も試しにTwitterやってみるかとアカウント登録しようとしたんだが、登録したいユーザ名が「使用中」。
3種類試してみたが全滅だったんで「もういい」とフテくされて結局登録せず。←短気
でも、著名人のTwitterを見てたら、田辺誠一氏のがなかなか面白いんで読み込んでしまった。
この人、俺と同い年なんだな。
(追記)
ブログと連動したユーザ名でTwitterに登録してみたです。
呟くことがやっぱりないと気付いたり飽きたりしたらやめるような気もするが。。w
⇒http://twitter.com/2ku2ku
◆
やっぱりまたじわじわと痩せだしてて、体重が40kg台になってしまい(俺の身長と比較するとどんだけ骸骨化してるか判るとオモw)、今迄のジーンズが、ボタンもファスナーもはずさずにジャージのようにそのまま脱げるようになってしまった。
ベルトをしないで穿くと半ケツ状態。
入院した事実だけ知っていて、その入院前以来に久々に逢ったある人から、あまりに俺が痩せてたんで物凄く驚かれた。
そして、結構しつこく病名を訊いてくる。
「○○なのか?」と自分からもいくつかの病名を挙げてきたが、そのどれもが、死ぬ確率の高いおっかない病気ばかり。
なんつー無神経な人なんだと心ん中で苦笑しながら、最後まで適当な病名を言って逃れる。
この人以外にも、病気をした人に対して病名を知りたがる人ってのは結構いるもんだ。
「なんの病気?」「どこが悪いの?」
と、心配の言葉をかけてくれてるんだろうが、他人に気軽に話せる病名の方が案外少ないかも。
病名を話すと、医師の話と違うその人の思い込みの医学的知識を説明されることもわりとある。
病気になった本人は当然、自分の病気について色々調べるわけだし、担当医から充分な説明を受けているので、素人からの説明はあまり必要ないどころか、間違っていることもあって、こういう話をされると、参ったなぁと思いつつも、こっちを心配してくれる気持ちはありがたく受け取り、「はぁ」「そうなんだ」「気をつけます」と受け答えする。
やっかいなのは、民間療法を勧めてくる人。
これは人によってそれぞれなので、どちらが正しいとかってことではないが、俺は病気になると、西洋医学に頼るタイプ。
だが、西洋医学フォビアな人もわりといて、東洋医学や「誰某氏が提唱している画期的な治療法」だの、健康食品の類だの、そういうのを勧めてくるというより、手術や病院の薬で治るわけない、と言い切る人までいて、こういう会話は俺はとかく苦手。
鬱なんかも、精神科から出される薬を飲む方が余計に悪化するからやめろ、としつこく言う人も結構いるもんだ。
で、病気をした人に、これまた俺の苦手な霊だのスピリチュアルだの迷信だのっつー話で脅してくる人もいる。
特に俺は厄払いなんざしないと言っていたので、そのせいだ、とはっきり言ってきた人もいる。
厄払いすれば、俺はこの病気にならなかったのか?
そんなわけねぇだろ。
生活習慣を変えるとか、俺の体質が変わるとか、そういうことなら、発病を避けられたり遅らせたり出来たのかもしれんが、厄だの運気のせいじゃないことは確かだ。
話は戻るが、先述の、久々に逢って病名をしつこく訊かれた、と云う人が、その後、別の人に、俺に死相が出ていたと話したそうだ。
で、それを聞いた人が、これまたわざわざ俺に教えてくれる。
「申し訳ないんだが俺はまだ死ぬ予定はないんだよ」とでも謝っておくべきか。
(酒もやめたんで真冬に道端で寝込んで凍死とか、泥酔して階段から転落死とかっつーリスクも減ったわけだしw)
先日の通院で、癌治療をしている、という人と待合室で雑談を交わしてた。
その人には付き添いの娘さん(話を聞いてると、20代前半くらいで働いているらしい)が、その病人である母親に向かって、仕事が嫌になっちゃったんであたしも癌になりたいなぁ、ということを大声で言ったんで、思わず俺の方がギョッとした。
そこの科は、その時どれぐらいいたか判らないが、癌治療の為に来てる人も多い科だ。
言われた母親は「癌になると辛いのよ」と静かに答えていたが、「あんな仕事続けるぐらいなら癌で死んじゃった方がマシ」とまた、あっけらかんと大声で答える娘さん。
母親に付き添うぐらいだから、本当は優しい子なのだろうが、自分の発した言葉が「癌」と闘っている人にどう響くか、その想像力はないんだろう。
それとも、悲劇的な病死に憧れがある年頃なのか。
通院を頻繁に続けていると、色んな患者さんがいて、色んなことを考えさせられる。
完全に痴呆状態になって身動きもしない高齢の人が色んな管つけられて検査室に運ばれていくのを見ると、本人は「生きている」自覚があるのだろうかと考えてしまう。
何も言えない状態になっている今、その人に苦痛はないのだろうか。
「生きる」と「生かされる」ということを考える。
ああいう状態になってしまった人にも、子供時代、青春時代、社会人としてバリバリ生きていた時代、そういう過去を通り過ぎてきている。
なんでも自分で出来た成年期・熟年期を越え、自分では何も出来なくなってしまう体となった高齢期にどんなことを考えるのだろう。認知症になると、どんなことを考えられるのだろう。
でも、何も出来なくなってしまっても、病院で治療を受けられる、というのは幸せな老後か。
病気になっても病院で治療が出来るというのは、とても恵まれた幸運か。
そう考えると、俺は幸せなのだ。
通院マンドクセと言いながら、通院を続けられるのだから。
入院が必要になれば入院も出来る。
その幸せを俺のぼーずも味わえるのか。
俺のぼーずが認知症になるほど長生きした時、その治療や介護を「愛」をもってやってくれる誰かがいるのか。
悪魔に魂を売れるものなら、俺の最期はどんなに苦しんでもいいし死後にどういう地獄があろうとも、その分、ぼーずは最期まで幸せに過ごさせて欲しい。
幸せな死を迎えて欲しい。
と、結局はぼーずの心配に行き着くな。
病気話でコロコロと話が変わって何が言いたいんやら…w
◆
ぼーずの話ついで。
写真撮るぞ、と言うとやたらとすぐに動くんでブレたのばっか。
で、今日(もう昨日か)、久々に動いてる動画を録ってやろうとカメラ構えたら、じっとカメラ目線で動かん。
「動けよ」と言うと首をちょいと曲げて、手をピースしてまた静止。
「おい、動けよ。じゃあ立ってごらん。なんか喋れよ」と静止したぼーずの映像に俺の声ばかりかぶってる。。
(-_-)
3種類試してみたが全滅だったんで「もういい」とフテくされて結局登録せず。←短気
でも、著名人のTwitterを見てたら、田辺誠一氏のがなかなか面白いんで読み込んでしまった。
この人、俺と同い年なんだな。
(追記)
ブログと連動したユーザ名でTwitterに登録してみたです。
呟くことがやっぱりないと気付いたり飽きたりしたらやめるような気もするが。。w
⇒http://twitter.com/2ku2ku
◆
やっぱりまたじわじわと痩せだしてて、体重が40kg台になってしまい(俺の身長と比較するとどんだけ骸骨化してるか判るとオモw)、今迄のジーンズが、ボタンもファスナーもはずさずにジャージのようにそのまま脱げるようになってしまった。
ベルトをしないで穿くと半ケツ状態。
入院した事実だけ知っていて、その入院前以来に久々に逢ったある人から、あまりに俺が痩せてたんで物凄く驚かれた。
そして、結構しつこく病名を訊いてくる。
「○○なのか?」と自分からもいくつかの病名を挙げてきたが、そのどれもが、死ぬ確率の高いおっかない病気ばかり。
なんつー無神経な人なんだと心ん中で苦笑しながら、最後まで適当な病名を言って逃れる。
この人以外にも、病気をした人に対して病名を知りたがる人ってのは結構いるもんだ。
「なんの病気?」「どこが悪いの?」
と、心配の言葉をかけてくれてるんだろうが、他人に気軽に話せる病名の方が案外少ないかも。
病名を話すと、医師の話と違うその人の思い込みの医学的知識を説明されることもわりとある。
病気になった本人は当然、自分の病気について色々調べるわけだし、担当医から充分な説明を受けているので、素人からの説明はあまり必要ないどころか、間違っていることもあって、こういう話をされると、参ったなぁと思いつつも、こっちを心配してくれる気持ちはありがたく受け取り、「はぁ」「そうなんだ」「気をつけます」と受け答えする。
やっかいなのは、民間療法を勧めてくる人。
これは人によってそれぞれなので、どちらが正しいとかってことではないが、俺は病気になると、西洋医学に頼るタイプ。
だが、西洋医学フォビアな人もわりといて、東洋医学や「誰某氏が提唱している画期的な治療法」だの、健康食品の類だの、そういうのを勧めてくるというより、手術や病院の薬で治るわけない、と言い切る人までいて、こういう会話は俺はとかく苦手。
鬱なんかも、精神科から出される薬を飲む方が余計に悪化するからやめろ、としつこく言う人も結構いるもんだ。
で、病気をした人に、これまた俺の苦手な霊だのスピリチュアルだの迷信だのっつー話で脅してくる人もいる。
特に俺は厄払いなんざしないと言っていたので、そのせいだ、とはっきり言ってきた人もいる。
厄払いすれば、俺はこの病気にならなかったのか?
そんなわけねぇだろ。
生活習慣を変えるとか、俺の体質が変わるとか、そういうことなら、発病を避けられたり遅らせたり出来たのかもしれんが、厄だの運気のせいじゃないことは確かだ。
話は戻るが、先述の、久々に逢って病名をしつこく訊かれた、と云う人が、その後、別の人に、俺に死相が出ていたと話したそうだ。
で、それを聞いた人が、これまたわざわざ俺に教えてくれる。
「申し訳ないんだが俺はまだ死ぬ予定はないんだよ」とでも謝っておくべきか。
(酒もやめたんで真冬に道端で寝込んで凍死とか、泥酔して階段から転落死とかっつーリスクも減ったわけだしw)
先日の通院で、癌治療をしている、という人と待合室で雑談を交わしてた。
その人には付き添いの娘さん(話を聞いてると、20代前半くらいで働いているらしい)が、その病人である母親に向かって、仕事が嫌になっちゃったんであたしも癌になりたいなぁ、ということを大声で言ったんで、思わず俺の方がギョッとした。
そこの科は、その時どれぐらいいたか判らないが、癌治療の為に来てる人も多い科だ。
言われた母親は「癌になると辛いのよ」と静かに答えていたが、「あんな仕事続けるぐらいなら癌で死んじゃった方がマシ」とまた、あっけらかんと大声で答える娘さん。
母親に付き添うぐらいだから、本当は優しい子なのだろうが、自分の発した言葉が「癌」と闘っている人にどう響くか、その想像力はないんだろう。
それとも、悲劇的な病死に憧れがある年頃なのか。
通院を頻繁に続けていると、色んな患者さんがいて、色んなことを考えさせられる。
完全に痴呆状態になって身動きもしない高齢の人が色んな管つけられて検査室に運ばれていくのを見ると、本人は「生きている」自覚があるのだろうかと考えてしまう。
何も言えない状態になっている今、その人に苦痛はないのだろうか。
「生きる」と「生かされる」ということを考える。
ああいう状態になってしまった人にも、子供時代、青春時代、社会人としてバリバリ生きていた時代、そういう過去を通り過ぎてきている。
なんでも自分で出来た成年期・熟年期を越え、自分では何も出来なくなってしまう体となった高齢期にどんなことを考えるのだろう。認知症になると、どんなことを考えられるのだろう。
でも、何も出来なくなってしまっても、病院で治療を受けられる、というのは幸せな老後か。
病気になっても病院で治療が出来るというのは、とても恵まれた幸運か。
そう考えると、俺は幸せなのだ。
通院マンドクセと言いながら、通院を続けられるのだから。
入院が必要になれば入院も出来る。
その幸せを俺のぼーずも味わえるのか。
俺のぼーずが認知症になるほど長生きした時、その治療や介護を「愛」をもってやってくれる誰かがいるのか。
悪魔に魂を売れるものなら、俺の最期はどんなに苦しんでもいいし死後にどういう地獄があろうとも、その分、ぼーずは最期まで幸せに過ごさせて欲しい。
幸せな死を迎えて欲しい。
と、結局はぼーずの心配に行き着くな。
病気話でコロコロと話が変わって何が言いたいんやら…w
◆
ぼーずの話ついで。
写真撮るぞ、と言うとやたらとすぐに動くんでブレたのばっか。
で、今日(もう昨日か)、久々に動いてる動画を録ってやろうとカメラ構えたら、じっとカメラ目線で動かん。
「動けよ」と言うと首をちょいと曲げて、手をピースしてまた静止。
「おい、動けよ。じゃあ立ってごらん。なんか喋れよ」と静止したぼーずの映像に俺の声ばかりかぶってる。。
(-_-)
2009-11-23(Mon) 01:54| 日常| トラックバック(-)| コメント(-)














